「本当の自分って何だろう」
「どうしたら本当の自分を知れるのだろう」
今回は、そんな本当の自分が知りたい人のために、「本当の自分とは何なのか?」を哲学の視点から解説し、今日から始めることができる「本当の自分に出会える方法」をお伝えしていきます。
哲学とは、世界の本質に迫ろうとする学問のことです。例えば、「世界とは何なのか?」「生きるとは何なのか?」「人間の幸せとは何なのか?」といった〈答えのない問いを問い続けること〉とも表現できます。
探究であり、哲学には答えがありません。今からの解説も正解であるという見方ではなく、ひとつの案として試着してみて下さい。
1 本当の私とは?
哲学で言われる本当の私とは、〈本質〉のことです。
人間として姿かたちを持って生まれた、目に見える肉体のことを〈実存〉といい、それに対して、「自分は誰であるか?」「誰になるか?」目に見えない部分を〈本質〉といいます。
つまり、〈本質〉とは、「自分は誰であるか?」というような自分に対する問いであり、この問いが「本当の私」になります。
2 本質は自分で創るもの
哲学の1つの解釈として、「自分の本質を自らつくり上げることが義務付けられている」という説があります。
人間として姿かたちをもって生まれたそのあと、「自分は誰か?」「何のために生まれてきたのか?」その問いの答えを探しつづける義務が人間にはあるのです。
3 本当の私がわからない原因
本当の私がわからない原因は、本質は自由に選択でき、自分で決めてよいということが言えます。
本当の私とは、哲学的に言えば、探究することであり、答えはありません。
答えがない。それが、本当の私がわからない原因のひとつかもしれません。
大切なことは、「本当の私はわからないものなんだ!」ということをまずは知ること。
そして、自分で選択できる自由を感じましょう。
今日からできる、私のつくり方
人間の〈本質〉である、「自分は誰なのか?」とは、名前や職業のことではありません。
「自分は誰か?」とは、「自分の在り方」のことです。
自分をつくり上げることを〈投企〉するといいます。
「企てを前に投げる」、「自分を前に投げる」
自分を創作する、言葉を前に置くという意味があります。
具体的には、自分のその日の「在り方」をつくります。
例えば、「豊かなわたし」と在り方を設定します。
これまでの自分なら、自分の意見を主張する場面で、「今日はまずは相手の話しを聞いてみよう」とする柔軟な自分に出会えたり、時間の過ごし方も、焦らずゆとりを持って過ごすことができるかもしれません。
「感謝のわたし」を設定したとしたら、全てがありがたく、ただあるだけで素晴らしいことなんだ、という気づきに出会えるかもしれません。
「自分は誰か?」とは、あなたの「在り方」であり、自分の身の回りに起きている出来事が、全て「自分が源」であることを知ることにつながります。
「本当の私」が自分の世界をつくっているのです。
本当の私は創造する
「在り方」から物ごとをみると、自分の身の回りに起きている出来事への反応が変わってきます。
「自分が源」であり、「身の回りのことは自分が起こしているのだ」と客観的に自分をみることができるからです。
「本当の私」が身の回りの世界全てをつくっています。
例えると、身の回りに起きている出来事は、果実のりんごでいうと成った実です。
その実をつくる種が、「在り方」になります。
想像してみてください。
種は土の中にうまっていて、みえませんよね。
わたし達が「自分は誰か?」ということも、姿かたちがない目にみえないものであり、〈本質〉も目にはみえません。
想像するものであり、イメージするもの、といってもよいでしょう。
本当の私は創造するものなのです。
今日から自分を創作してみる
「本当の私」は自由に選択でき、自由に決めることができることをご紹介してきました。
では、早速今日から「本当の私」をつくってみましょう!
自分を創作する、ともいいます。
言葉はなんでも良いのです!
今日1日を、誰として過ごすのか?朝、宣言してみましょう。
紙に書いてもよいですし、誰かに聞いてもらうこともよいでしょう。
大切なことは、宣言し存在させておくことです。
自由に選択し、自由に決めて、自分の人生をつくりあげていきましょう。
最後に、哲学には正解はありません。常に問い続けることが、豊かさであり、創作する醍醐味です。
自由に表現し、「本当の私は誰なのか?」問い続けてみて下さい。あなたが自分らしく生きるヒントがそこにはあります。